- 2021.12.15
- 偉人と名所
佐久の偉人【山室 静】
アンデルセンやムーミンを翻訳して日本に紹介するかたわら、郷里の人材育成と文化発展に力を注いだ詩人。
1 雑誌『近代文学』創刊
プロレタリア文学に傾倒し、幾度となく拘留され拷問を受ける。その後マルクス主義はヒューマニズムを否定するものと考え転向、戦後は、本多秋五・小田切秀雄・埴谷雄高らと雑誌『近代文学』を創刊する。
2 浅間高原学舎の設立
地方から地域文化の担い手が育ち、戦後日本が再建されることを願って1946年(昭和21年)に浅間国民高等学校(高原学舎)を井出一太郎らと設立する。農村の青少年を対象に、共に働きともに学ぶ、特色ある教育を実践した。同時に季刊文芸誌『高原』を刊行した。
3 北欧の童話・民話を日本に紹介した先駆者
『ムーミン童話全集』『アンデルセン童話』など北欧の児童文学を翻訳し、『北欧文学の世界』『アンデルセンの生涯』などを刊行する。 日本に北欧文学を広めた翻訳家であり文芸評論家である。
4 人材育成や文化の発展に寄与する
郷里の文化と人材育成のため、佐久地方で地道に創作及び研究に従事する人を対象に「佐久文化賞」を井出一太郎と設立する。市立図書館への蔵書の寄贈(山室文庫)、岩村田小学校ならびに野沢中学校の校歌の作詞なども行った。
(略歴)
1906 教師であった父の赴任先鳥取市で生まれる。7人兄弟の四男。
父の逝去をきっかけに、7歳から父母の郷里である岩村田で育つ 岩村田小学校 旧制野沢中学(現・県立野沢北高校)卒
1927 上京し岩波書店などに勤めながら夜間学校に通う
1933 プロレタリア科学研究所に入り、マルクス主義を放棄した左翼団体として数度と勾留され拷問を受ける
1939 東北大学美学科入学
1946 雑誌『近代文学』創刊。郷里の友人らと高原学舎設立するも1年半で閉校
1958 日本女子大学講師となる(のちに教授に就く)
1961 オランダで開催された国際比較文学会に日本代表として出席
1968 『ムーミン童話全集』『北欧文学の世界』『アンデルセンの生涯』など著書は約100。翻訳書は約150冊
(関連リンク)山室 静 | 佐久市ホームページ
1 雑誌『近代文学』創刊
プロレタリア文学に傾倒し、幾度となく拘留され拷問を受ける。その後マルクス主義はヒューマニズムを否定するものと考え転向、戦後は、本多秋五・小田切秀雄・埴谷雄高らと雑誌『近代文学』を創刊する。
2 浅間高原学舎の設立
地方から地域文化の担い手が育ち、戦後日本が再建されることを願って1946年(昭和21年)に浅間国民高等学校(高原学舎)を井出一太郎らと設立する。農村の青少年を対象に、共に働きともに学ぶ、特色ある教育を実践した。同時に季刊文芸誌『高原』を刊行した。
3 北欧の童話・民話を日本に紹介した先駆者
『ムーミン童話全集』『アンデルセン童話』など北欧の児童文学を翻訳し、『北欧文学の世界』『アンデルセンの生涯』などを刊行する。 日本に北欧文学を広めた翻訳家であり文芸評論家である。
4 人材育成や文化の発展に寄与する
郷里の文化と人材育成のため、佐久地方で地道に創作及び研究に従事する人を対象に「佐久文化賞」を井出一太郎と設立する。市立図書館への蔵書の寄贈(山室文庫)、岩村田小学校ならびに野沢中学校の校歌の作詞なども行った。
(略歴)
1906 教師であった父の赴任先鳥取市で生まれる。7人兄弟の四男。
父の逝去をきっかけに、7歳から父母の郷里である岩村田で育つ 岩村田小学校 旧制野沢中学(現・県立野沢北高校)卒
1927 上京し岩波書店などに勤めながら夜間学校に通う
1933 プロレタリア科学研究所に入り、マルクス主義を放棄した左翼団体として数度と勾留され拷問を受ける
1939 東北大学美学科入学
1946 雑誌『近代文学』創刊。郷里の友人らと高原学舎設立するも1年半で閉校
1958 日本女子大学講師となる(のちに教授に就く)
1961 オランダで開催された国際比較文学会に日本代表として出席
1968 『ムーミン童話全集』『北欧文学の世界』『アンデルセンの生涯』など著書は約100。翻訳書は約150冊
(関連リンク)山室 静 | 佐久市ホームページ