佐久の偉人【若月 俊一】

「農民とともに」を合言葉に集団健診や健康管理などに取り組み、農村医学発展に尽した佐久総合病院の初代院長。

1 「農民とともに」
佐久に赴任した当初、外科医はおらず、あらゆる手術の必要があり多忙を極めた。
そんな中、手遅れの患者が多いことに気づき、休日を利用して医者のいない地域に出張診療を始める。同時に正しい病気の知識、並びに正しい衛生環境を整備するための啓発活動を行った。

2 戦後国内初の病院給食開始
  「食の平等」という発想から1947年日本初の病院給食を始めた。
当時「佐久病院に行けば若月の手術と銀シャリで病気が治る」と噂されたそうです。

3 日本農村医学会創立
地域の中に入り農村の生活に密着した調査・研究を行う。
農村特有の病気について研究しようと長野県農村医学研究会を設立。
後に日本農村医学会へと発展し「農村医療」という分野を確立する。

4 予防は治療に勝る
 「病気を治すだけではなく、地域の保健活動を通して定期的な検診を行うことで
病気をなくすこともしなければならない」このような思いが現在の健康診断のモデルとなる。全村一斉の集団検診など全村健康管理を八千穂村(現・佐久市)で始める。


5 1000床を超える地域の基幹病院に




(略歴)

1910 東京に生まれる
     東京府立第1中学校 旧制松本高校 東京帝国大学医学部卒

1945 佐久病院赴任

1945 佐久病院院長となる

1950 長野厚生農業協同組合連合会佐久総合病院 院長就任

1959 八千穂村(現・佐久穂町)で全村健康管理を開始

1976 アジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞 受賞

1998 佐久総合病院名誉院長
   

(関連リンク)佐久総合病院 | JA長野 厚生連